赤旗新聞

5年前の2016814日に私の記事が 赤旗日曜版に大きく取り上げてられました。

「不便だけど、不幸じゃない」

I T機器を活用、それでも大事な「あなたの支援」

アルツハイマー型認知症と歩む   佐藤雅彦さん (62)

51歳でアルツハイマー型認知症と診断された佐藤雅彦さん(62) は約10年間、工夫しながら一人暮らしを続けてきました。「不便だけど、不幸ではない幸せ」と話ます。認知症と共に歩むヒントは。

 

佐藤さんは、1年前まで自宅マンションで一人暮らしをしていました。食事を作ることが辛くなり、今は食事付きのケアハウスに移りました。介護保険の要支援1.ヘルパーと一緒に掃除をするなどのサービスを利用しています。

コンピューター会社のシステムエンジニアでした。異変に気づいたのは1999年。会議の議事録が書けなくなるなど、仕事のミスが増えたのです。6年後にアルツハイマー病と診断されその後退職しました。

当時、認知症に関する本を探しました。「5年、10年後には寝たきりになる」などと負の情報や介護者のための本ばかりでした。

「早期診断、早期絶望でなく、どう生きていけばいいのか、再スタートの参考になる本が欲しい」と感じました。

最近『認知症の私からあなたへ20のメッセージ』を大月書店より執筆出版した佐藤さん。認知症になると「何もわからなくなる」などの偏見をなくしたいと思いからです。

認知症になっても残された機能がたくさんあり、豊かな人生を送ることができると伝えたかった」

診断後に工夫

買い物や散歩に出かけ、5年前からは臨床美術の教室で絵を描いています。

「人生をあきらめない」ために、困り事は智えと工夫で乗り換えてきました。

例えば、携帯電話やタブレット端末などのIT機器の活用です。パソコンを使用していましたが、これからの操作は認知症と診断されてから、覚えました。

予定はアプリのスケジュール表に記録し、出かける30分前にアラームを鳴るようにセット。行き先までの経路も携帯に電話のメモ機能に入力しておきます。

電車に乗る時も到着時間にアラームが鳴るようにすれば「降り忘れのない」と言う不安が減ります。

出会った人や、訪れた場所は写真に撮っておきます。忘れても何度も見直し記憶に残します。IT機器は佐藤さんの外付けの頭脳飯

それでも忘れたり失敗することがあります最寄り駅に出るだけで疲れ、何もする気が起きないこともあります。

そんな時は日常であることを隠さず人の力を借りるようにいています。

忘れるかもしれないと助けを求めて起きます。首から「私は認知症です。あなたの支援を求めています」と書かれたプレートを下げています。

明るい人柄も出会った人が外出の際などのサポーターとなってくれます。

介護保険では美術館や映画館へ付き添いサービスはありません。生活を楽しむことにサービスがあれば、今ある機能に維持できると思います」

質問は本人に

講演やFacebookで当事者の思いを発信しています。

「認知症になっても介護の対象とししてだけではなく、みんなと協力して社会を作る。

佐藤さんの言葉は、認知症の当事者だけでなく困難を抱えて生きている人は人の心に響きます。

「できない事に目を向けるのではなく、できることに目を向けていけるようにしています。試練に会う会う事は当たり前チャンスだと思うことです。1回失敗したから、明日できないわけでもない。不便だけど不幸ではない。そう割り切らないと生きられません」

そして、周囲の人に理解を呼びかけています。「わからない事は本人に聞いてほしい。当事者がいるのに、介護者に話しかける人がいます。理解されていないと考えている時は『ゆっくりおこたえください』言われると安心します。私たちを抜きに私たちを決めないで欲しい」

佐藤さんの夢は絵の個展を開くことです。

毎日新聞

人生をあきらめない

201611月13日  毎日新聞

若年認知症  佐藤雅彦

日々記憶を補う工夫

携帯電話のアラームが鳴ると東京行きの新幹線に乗っていた佐藤雅彦さん(62)埼玉県川口市は客室の電光表示板に目をやった。降り駅が近づいたらわかるようにセットしておいたアラーム、まもなく大宮ですアナウンサーを聞いてタブレットをカバンにしまい忘れ物がないか確認する自宅の鍵、カバン…。過去になくした経験があり移動するときには必ずチェックする。

携帯電話と一緒に首から端ぶら下げているのは「私は認知症ですあなたの支援を必要としてます」書いたヘルプカードでした。新幹線がホームに入ったのを確かめると、佐藤さんは緊張したおもむきで前を見つめ、人ゴミの中に消えていった。自宅の最寄り駅までは在来線に乗り換えてあと少し。携帯電話に保存してあるメモを見て行き先を確認する。

9月のこの日、栃木県那須塩原市で開かれた「Run伴」参加した。「認知症と共に生きる社会をテーマに全国各地で統領イベントだ。同県が節関係者がチームを作り、「声あげる当事者が現れてくれた街はもっと住みやすくなる」と佐藤さんはに依頼した。

若年性認知症と診断さ10年余り一時は失意のどん底に突き落とされ、仕事も生きがいも失ったが、今、記憶を補う工夫をしながら楽しんでいる「認知症になっても、希望と尊厳を持って生きる社会に」と訴える佐藤さんの原動力を探った。

 

社内の議事録を作ろうとした言葉が浮かんでこない。パソコンで帳簿入力しようとしても、数桁の数字が覚えていられない。耳鳴りみ、気力の低下もひどかった。コンピューター関連んかいしゃをしていた佐藤さんが体に異常を感じたのは40代に中頃だった。医療機関で検査を受けても「異常なし」だがますますひどくなった。配送係に配点され取引先を回り商品を正しく届けたのか確信できなくなった。配送した後自分の車を止めた車に場所がわからず30分以上探し回った。

51歳の時、精神科の勧めでコンピューター断層映像(CT)取ると、若年生のアルツハイマー病と診断された。「脳に萎縮が見られましょう」医師は淡々と告げた。若年性認知症は64歳以下の人が何者で、空間、時間の認知能力や記憶力が低下し、順序立てた行動が取れず日が難しくなる。

50代の若さでそんな病になるのか。頭が真っ白になった。どんな支援があるのか、どんな生活を送れるのか。医師の助言はなく、医療機関から突き上げがされたように感じた。図書館をまた認知症の本を読むが朝に、「多くは6年から10年で年間の状態になるのは記述に」の期日に言葉を失った。

佐藤さんは大学に数学科を卒業後に中学の数学の教師を経て、東京都内のコンピューター関連会社に転職した。室内システムエンジニアとして働き、可能だったのか30代前半で突発性難聴になった。昼食後は事務職に移動したが、仕事にやりがいを感じられない。生きる目的が探したたまたま誘われた教会に通うようになったなり、39歳の時キリスト教の洗礼を受けた「アルツハイマー病です」と診断されたのは世界の貧しい子供を支援するボランティアを始め、仕事以外に生きがいを見出したときにだった。

上司に報告すると、「障害年金があるし、無理に働いて悪化させる方ないほうがよい」と言われたまず事実上の辞職勧告だった。l、佐藤さんも働き続けることは考えられなかったと言う。診断から3ヶ月後佐藤さんは郷里の姉妹に相談せず25年勤めた会社を辞めたそれまで支えてきた貯金と障害年金が頼りだった。

当時の頃は、2014年に出版した「認知症になって私がつけたいこと」大月書店につづられている。佐藤さんは「疲れていた。同じ病気で働い働いている人も知らなかった」と振り返った

一人暮らしの佐藤さんは、身の回りのことを一切自分でこなしていた。スーパーで食品を買う。電車に乗って病院に行く。料理をする。今まで当たり前にしていたことが、少しずつ。できなくなっていることを自覚した。薬を飲んだかどうか思い出せスーパーに行っても、はじめての店に行きたいように感じられて戸惑う。預金通帳に覚えのない引き出した履歴にある。駅まで来てへ、何のために来たのかか分からなくなる。朝なのか夜夕方なのか時間の感覚がわかない時もあった。

記憶力の低下は起きないために、佐藤さんは自分で行動を記録するようになった。パソコンで日記をつけて、当面の予定も書き込む。外出時は携帯電話に行き先や目的やメモをして保存しておく。例えば、銀行や病院に行く時は支払いの順序に書いて保存する。待ち合わせではすぐに見つけてもらえるように派手な色で目立つ服装を着る。「工夫は日々進化します。困り事は増えていくから」と話す。

それでも、自宅の鍵や預金通帳をなくしてしまう。年金手帳を失った時は年金事務所へ出向き、再発行してもらった。厄介なのはパソコンのデータを管理するパスワードだ。番号を控えて決めた場所に保管しているが、取り出しの諦めたデータもある。「無理に思い出そうとしても出てこないし(思い出すのをやめてしまった。がんばらなくても良い

 

毎朝、日付と予定を確認lするために開くパソコンと携帯電話を、佐藤さんは「外付けの記憶装置」と呼ぶ。診断から8ヶ月の事だった生活の命綱と家のパソコンが突然、わからなかった大切な記憶を失ってたような不安に襲われ、佐藤さんはパニックを起こし主治医のもとに駆け込んだ。

「一人暮らしは無理グループホームに入ったほうがいい」と医師にはで見知らぬ交流自分の姿は思い浮かんだ。それはまだ若い佐藤さんが最も恐れていた状況だと言う。2カ月前に実家はで父をなくした精神状態が不安定だったのか、ショックでは食べ物が喉を通らなくなり、寝込んでしまった、弟の判断で岐阜県の実家に戻り数日時間眠り続けた。

ほどなくなく体調は回復したが、地方では車がないと買い物行けない。兄の家族に世話なりながら暮らすのも心苦しかった。家に引きこもりひたすら聖書を読んでいるとある一節が目に止まった「わたし()の目にはあなたは高価で尊いわたしはあなたを愛している」イザヤ書

認知症になっても自分は変わらない。約束を忘れたり、どこに置いたか忘れたけれど、人間としての価値が落ちたわけではない。やりたいことができると信じたい、残された人生

ギリギリまで一人暮らしを続けるそう思って川口に戻った。

 

声を上げることが役目

自宅に戻った佐藤さんは、50代でも介護保険を使うことを知り、ヘルパーに料理、掃除をてつだってもらった。「家の中にこもらない」認知症関連の講演会も足運び、積極的に情報を求めた「自分にも何かできるのではないか」

そんな気持ちが芽生えたのは、0 72月、あるシンポジウムで「日の当事者の生き方を尊重しよう」とい提案を聞いた時だ。終了後報告者の1人、認知症介護研究・東京センター(杉並区)の永田久美子さんに声をかけ、自分は認知症です。今も一人暮らしをしています。

「認知症の人も暮らせる社会を一緒に作りませんか」と話しかけてきた佐藤さんに、永田さんは驚いたと言う。認知症の当事者が自ら名乗り出て社会を変えていこうと提案する。永田さんが狙った通りのことが目の前で起こっているのだ

この出会いをきっかけに佐藤さんは専門家の勉強会に参加し始め目、自身の話すようになった続いた一般向けの講演会でも報告者として名前を明かして話した。

講演では、認知症と診断された後の生きがいを見出すことが大切を話すようにしている。医師には「これからどう生活するかz、一緒に考えましょうと言うてが欲しかった__認知症になれば、当たり前にできていた動作ができなくなり、仕事をうしなうことがある。家族との関係も変わるかもしれない。心の持ち方についても相談できる相手を必要として、「人間の価値は何ができるかではなく、生きてるだけで幸せなんだと気持ち切り替えましょうと言って欲しかったと」と訴える。

08、埼玉県の職員を対象とした講演会に招かれたときの事だった。後日送ってきた参加者の感想に書かれていた「直接生の声が聞いてよかった」「どんな支援が必要費かなにが望んでいるのか分かりめからうろこです」佐藤さんは自分の思いが伝わった。人生をあきらめなくてよかった」と嬉しくなった。永田さんは振り返る「自分の暮らしをどうするかは本人が決め決めること。」佐藤さんは身をもって示しました。

 

認知症当事者の交流会も開かれるようになり「旅行が好き」と言う佐藤さんは各自に出かける。同じ立場に仲間が増えるにつれて自分たちの声はもっと社会に届けようと気運が高まる。「日本ワーキンググループを設立した。佐藤さんの各自の体験を話していた11人が14年10月、「よりよく生きていける社会を作り出すこと」を目的に結成した。当事者の視点から、認知症の人にむけむけ暮らしに役立つ冊子を作ったり、国に政策を提言したりする。

グループは霞ヶ関で厚生労働大臣と面会し、国が認知症対策をとりま止めるときは、当事者も参加する機会を設けることなどを提案した。その思いは届き厚生労働省が151月に公表した認知症施策推進総合戦力(新オレンジプラン)には「認知症の人やその家族の重視」うたわれれ、当事者のニーズの把握や生きがい支援が盛り込まれた。

ただ、社会に出て活動すれば、心ない偏見にもさらされる。佐藤さんは講演後に「認知症ではないでしょう」「売名行為はやめなさい」と言われたこともある。認知症になると記憶力判断力が劣るから、一人暮らしできるわけがないと思われたのだ。「認知症の症状は様々で進行も個人差が大きい。だから人助けする時も本人の声を聞くことが必要だ。」今はそう説明するがさすがに落ち込んだこともある。

同じ認知症当事者の交流で見えたのも、こうした偏見に縛られた姿だ。意見を思いやりに得ず、やりたいことを我慢してる人。言葉が出にくいために、「話せない」と思われている人。自分でお金で買い物しようとして「取っておきなさいと言われた人地域から家族に「認知症人を1人でに歩かさせない」と苦情を言われた人もいた。認知症と言うだけで1人の大人として扱われない「やりたいこともできず何のために行きたいのか。そうした人たちの声を代弁しながら自分の役目だ。」と佐藤さんは語った。

 

労働省によると、認知症は12年の推計で65歳以上の人口の15%4,600,000人以上の人がいるとされている。働き盛りの人がなる若年認知症は0 9年推計で38,000人。養う家族をいながら仕事や生きがいを失うなど抱える問題が大きい。早期の診断が可能となり、異変に気づいて診察に来る人が増えたが、若年認知症になった診断を受けた後も職場の理解を得て仕事を続けている人は少なくいと聞く。

私は、佐藤さんと知り合って9年になる。昨年6月末に一人暮らしをしていたマンションからケアハウスに移り最近はやり取りするメールに誤字が増えた気もする。講演では雄弁な佐藤さんだが体調の変化が激しい。疲労が溜まりベッドから起き上がれない日がある。バスを止めてタクシーで移動することも増えたと言う。それでも「活動を始めて10年に経ち、話を聞いてもらう事になった。でもまだやる事はたくさんあります。

「できなくなったことをはなく、できることに目を向けて、認知症になっての

不便だけど不幸ではない」佐藤さん自身のサイト、Facebookでもほぼ毎日発信している。

懸命に自立していきようとしている佐藤さん、改めて人生を変えた出来事を尋ねるとメール次の事が返ってきた。

「認知症でも人生諦めることのなく生活できることを身をもって示したいそれが私の生きがいになりました」